想ったことを綴るだけ

思いのままにたいぷ

イメージとギャップ

サンホセの国際空港に降りた。雲がちらほらある青空で、薄目を開けてもまだまぶしいほど日差しは強い。数時間前に、高度が2000メートルを超える メキシコシティにいた時に羽織ったウインドブレーカーを、ここでは脱いだ。タクシーの運転手と交渉してホテルまでの足を確保し、赤い車に乗り込んだ。空港 からサンホセ中心部に向かう道は、さくらによく似た色の花が咲く木が、坂に沿って立ち並んでいた。また、行きかう車のほとんどは日本車だ。その光景はどこ となく私の地元を彷彿させた。

 

サンホセの中心部は道が綺麗に区画されていて、東西に走る道をAvenida、南北を Calleといい、ど真ん中に位置する歩行者天国のAvenida Centralから北の道には奇数が、南の道には偶数がふられている。Calleも同様にCalle Centralを基準に東側は奇数、西側は偶数が割り付けられている。

 

この仕組みはとても分かりやすいように思えるが、実 はコスタリカ人でサンホセ市内の道路番号を覚えている人はほとんどいない、と現地学生が教えてくれた。実際に、市内で道行く人にバス停などを訪ねると、東 西南北や左右、距離を駆使し、わかりにくい説明をしてくれた。ただ、多くの日本人と異なるのは、一般のコスタリカ人の多くは英語が堪能である点と、現在地 からの方角を認識していることだ。

 

 

日本からのコスタリカの一般的なイメージは、豊かな自然であることは間 違いないだろう。以前NHKでも、福山雅治氏をリポーターとして、コスタリカの自然環境を映像で満喫できる特集が組まれていた。私たちも1か月前までは、 コスタリカ=自然の国、環境保護先進国という方程式を当然のように考えていた。

 

 

人はモノゴトを、それがそ うでないとしても、捉えたいように捉えがち、と思うし、先人たちがそれを示唆する提言をしてきた。例えばマークトウェイン氏は彼の著書のなかでこう言って いる。「最も問題になり得るのは、人が無知であること、ではなく、そうでないことをそうであると強く信じ込んでしまうことだ」(私自身で勝手に解釈し和訳 しました)。

 

 

コスタリカにつけても、全く同じように思う。この目で見てみるまでは、コスタリカのグリーン イメージ、クリーンイメージが、頭の中で出来上がっていた。しかし、私が見たコスタリカは、ブラウンイシューと財政難に悩まされ、世界のプレッシャーに押 される小さな発展途上国だった。

 

町のごみ置き場は、やぶれたごみ袋からあふれた残飯や廃材が、そこら中に散らばっている。 公共施設内に置かれた分別ボックスで集められた資源ごみなどは、その他の可燃物と一緒に回収され、埋め立てられるらしい。サンホセ市内の歩道は、端が崩れ ており、タイルがはがれている。高速道路では、土砂崩れで崩落した後修復がなされない箇所があるという。中心部から20分ほど歩くと、ごみが限りなく地面 に散らばり、時折ひどい異臭も嗅ぐ、そんな場所もある。

 

 

映像制作のためにカメラを構えていると、自転車にまたがったおじさんがフレームの中に入った。笑顔でピースをしながら、撮って、と身振りをしている。苦笑いをしながら彼をカメラに収めると、カメラを覗き込むようにおじさんは近づいてきた。

そんないいカメラを持ってこの辺をうろうろしていると、悪いやつらに全部取られちまうぞ。もしかしたら殺されちゃうかも知れないぞ。

ナイフで刺すしぐさをしながら、流暢な英語でそう言い残し、おじさんは自転車で行ってしまった。カメラはもうバッグにしまおう。取られたくないからでも、殺されたくないからでもない。そんなものは経験したことはないし、起こり得ないと心のどこかでは思っている。

 

しかし、頭がとても重かった。1週間いたコスタリカも今日で最後だった。すこし頭を整えたかった。見たものや聞いたもの、触れたもの、食べたものが頭からこぼれそうだった。何ひとつ確実ではなかった。

 

イメージとギャップの間に挟まれて。

地図の町

私は地図が好きだ。

私の母親も地図が好きで、我が家のトイレの壁には世界地図が貼ってある。これはもう既に5代目で、ナショナルジオグラフィック日本刊行20周年記念の付録地図だ。母と私、どこかへ出かけるときは、二人でその周辺の地図を事前に眺める。帰ってきてからは、二人で行った場所の地図をかこんで、ここはこうだった、あそこはああだったなど言い合う。そのおかげか、私は地図を読み取るのは割に得意だし、方向音痴でもない。

メキシコ、グアナファトの空気をすう前も、日本で「地球の歩き方」の地図を熟読したし、Google Mapでお散歩もした。だからなんとなくグアナファトを知ったつもりでいた。

日が傾きかけた午後、私はグアナファトのダウンタウンを見渡せるピピラの広場に立った。その時どれだけ息留め続けていたか分からない。目に飛び込んでくる景色で心がいっぱいで、呼吸も忘れていた。ただただ考えてもみなかった。町全体がこんなにも波打っていて、建物や教会、大学がせり出してくるように見えるなんて。

地図で知ったつもりの町は、こんなにもいきいきとしていなかった。

 

学生団体S.A.L. 公式ブログより