想ったことを綴るだけ

思いのままにたいぷ

季節について

8月の18日から3週間ほどインドネシアに行った。インドネシアへの渡航は今年で二回目。前回はおよそ半年前の3月初め。日本では、少しずつ暖かくなってきた時期で、シャツ二枚に薄いウインドブレーカーで成田空港に向かったことを覚えている。飛行機内や空港内がえらく寒いため、今回も同じウインドブレーカーをバックに入れてきた。この半年一度も洗っていない。

 

一年のうちで同じ国に二回も行くことは今までなかったし、インドネシアは一年中あまり温度差がなく、年間の変化は降水量と湿度くらいだったので、入国するときには少し不思議な気分になった。何も真新しい感覚などなく、この半年間ずっとこの島国にいたような気分だった。

 

前回の渡航で初めて会った、ジャカルタに住むインドネシア人の友人に再び会った。彼らと再会して間もなく、半年会ってないことが嘘のように、くだらない冗談を言い合い、他の誰にも理解できないインサイドジョークを繰り広げた。

 

滞在した3週間のうち、はじめ5日とあと5日はジャカルタに泊まり、彼らと繁々会っていた。その度に彼らは、前回に会った時期を全く覚えていない、というような返答をしていた。私が前回何月に来たか、何カ月前に来たかなども、覚えていない。私が3月頃だと言っても首をかしげる始末。なんだ、インドネシア人はずぼらで時間の感覚もないのか、などと一度は失礼な推測をしたものの、その後もシャワーを浴びている時に思いだす残るくらいには気になっていた。

 

今回の渡航最後に彼らに会ったレストランで、来年か再来年に日本で再会しようという会話になった。彼らのうち一人はよく日本に来るのだが、もう一人は一度も海外に行ったことがなければ、雪などは見たこともない。雪は見てみたいが寒いのが大の苦手ということで、夏の日本に来ること、そして山登り、川下りを勧めた。その時に私ははっとした。

 

当たり前のことなのだが、彼らの国には四季がないのだ。彼らは一年の出来事を季節の変化で結びつけることはしない。四季を楽しむ我々は、無意識に、ある出来事が起こった時の気温や湿度、草花の色彩やその芳香、さらには雲の高さや風の質感など、あらゆる季節の顔色を覚えている。そしてそれらをその出来事と結び合わせている。

 

これは、インドネシア人と日本人の記憶力の差ではない。我々日本人の生活、命が季節の顔色と共に成立していることの証明である。そう思うと同時に、この夏の涼しさの香りを全身いっぱいでかぐことに、今の自分を感じる。