覚書 水俣
こんなことは書くべきではないだろうかどうだろうかと思いながら、それでもやはり書かなければいけないような気がして、気持ちのままにワードを開いた。
今日、石牟礼道子が亡くなった。
私は彼女の著作をそれほどたくさん読んだわけではないが、私にとってはとても大きな人であった。
2016年の2月に石牟礼道子の「苦海浄土」を手に取って、大げさに言うとそこから私の人生が変わった。
「苦海浄土」は、石牟礼道子が水俣病患者に聞き取りを行い、実際の人物と彼らの経験を元に編まれた小説だ。
彼女の書く文はとても美しかった。
私は彼女の書く文をひたすら追う中で、これは書かされた文なのではないか、と何度も思った。
聞き取りを行っていくうちに、書かねば、と思わされたのではないか、と何度も思った。
その時、私は大学一年生で、とても空っぽな人間だった。
それまで、私の中から湧き上がる力で何かを書いたことがなかった。
そんな私は、片手に収まる「苦海浄土」に、すくってもすくっても底の見えない深さを感じた。
石牟礼道子に文を書かせた水俣病事件は、なにものよりも濃く、それでいて、しかし、吹けば消えてしまうほど淡かった。
水俣病は消え始めていた。
そして、今日、またひとつの灯が優しく消えてしまった。
「苦海浄土」をぱたりと閉じて、水俣に関わろうと決断をして、二年。
これからも私は水俣に行きたい。
私に何が灯せるかわからずとも、水俣に行き続けたい。