考えることが、好きな理由。
なぜ考えることが好きか考えていた。
友人が、履修課題のお題として出された、といって私に尋ねてきた「なぜ考えることが好きか」という質問。
考えることが好きか嫌いか、など全く言っていないのに投げかけられた、この質問。
この質問に応える答えの前に、考えるという行為、とはなにかを考えた。
考える、とは、二次的な行為だ、と思う
友人に「なぜ考えることが好きか」と聞かれて、考える。
今日は天気予報で雨が降ると言っていたから、傘を持って家を出るか、考える。
友人との待ち合わせまでに時間があるから、どこで時間をつぶすか、考える。
考える、を考えた時、考える前に何かがある。
その何か、が考えることが好きな理由に関係しているのではないか。
私は、その何かに対して、“正しい”判断をしたい、と思う。
私の中の“正しい”基準に、照らし合せて、“正しい”判断をしたいのではないかと思う。
私はモノゴトに対して“正しい”判断をしたいから、考えるのが好きなのだ。